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プロフィールをそろそろアップデートしないといけませんね。 思い切って ライターと名乗ってみようかと思うんです。 ライターって肩書きにはとくに資格試験があるわけでなく、 名乗ったそのときからライターなのだという言われ方をします。 しかし、私は物書きというものになまじ憧れがあるもので 私のような者がライターなどと名乗ってよいものだろうかとずいぶん考えこんでしまうのです。 (便宜上、名刺にはすでにライターと表示しています) ありがたいことに、けやき出版の『たまら・び』で毎号書かせてもらっていますが、 (たまら・び編集部のFacebook) 今回は多摩地区唯一の花街である 八王子の黒塀通りに行ってお話を聞かせてもらいました。 表紙のくるみちゃんは18歳。 どんないきさつで芸者になったのか、ぜひ読んでみてほしいです。 そのときも取材先の方に 「ライターの佐藤です」 とどうにも言えなくて 「文章を担当させていただく佐藤です」 と、回りくどい感じの自己紹介になってしまいます。 資格も持ってないし、著作があるわけでもないし、受賞歴があるわけでもないし。 女子高生時代もそうでした。 女子大生時代もそうでした。 出版社の社員時代もそうでした。 結婚して人妻となり、主婦と名乗るときもそうでした。 「◯◯の母です」と名乗るときもそうでした。 なんだか恥ずかしい。 肩書きって、 どうしてか恥ずかしい。 みなさんそうでもないですか? 「あたし女子高生です」っていばれるほど女子高生っぽくもなかったし、 以下同文。 これまでの人生で長らくしっくり来ていたのがじつは、 「ダメ人間」(笑)。 育児時代の日記を読み返すと、これでもかとばかりに自らを「ダメ人間」と称しています。 ははは。 そして「ダメ人間」よりはいくらかまともで、かつかなりしっくり来たのが 「プリン屋」だったのです。 (しっくり来ていたけどどうしてやめてしまったかの話はこちら→敗北宣言) 自分で選んで自分で決めたことだからかな。 プリン屋に至るまでの人生は自ら選んだものではありませんでした。 流れ流れて流されて。その都度目の前に流れて来たミッションをどうにかこなしてここまで来ちゃった。運良く著しく道を踏み外すことはなく済んだのが不幸中の幸い。自覚的に生きていたとはお世辞にも言えません、などと言っているうちに縄文人ならもうとっくに寿命の年齢になっていました。 プリン屋を始めたのも、元はと言えば物書きになるための自分なりの工夫でした。そう言うと「?」という表情をされることが多いけれど、実際にこうしてなんとか道筋がつきました。縄文人ならもう2度目の人生。ひとまずここでプロフィールをアップデートして「ライター」と名乗ってみることにしてみます。 ライター 佐藤千香です。 このブログのようにくだらないことを書くのが大好きですが、たまら・びのようにもう少しまじめな調子で書くこともできます。 お見知り置き、どうぞよろしくお願いします。
by mitakapurin
| 2016-06-27 23:20
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