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3年前の夏のことです。 三鷹に引越して間もない頃の話。 口が開いたダンボール箱とまだガムテープで封をされたままの箱。 半端に組み立てられたスチールラック。 雑然とした部屋で、渋々目を覚ました私は ミズシマ君にコーヒーを淹れてもらいます。 私が無言でコーヒーをお願いすると ミズシマくんも黙ってコーヒーを淹れ始めます。 部屋に香ばしい香りが漂います。 黒い液体の表面には厚くてきめ細かいクレマが乳白色の層を作っています。 自分でペーパードリップしたのではこうはいきません。 ミズシマ君はどうぞと言いません。 私もありがとうとも言わずに 朝の一杯に口をつけます。 おいしい。 ゆっくり飲みたいのに おいしいのですぐに飲み干してしまう。 コーヒーを飲み干す間にも 刻々と陽は昇り室内の気温は上がってゆきます。 雑然とした室内を陽光が照らし出します。 逃げ場がどんどんなくなっていきます。 空のコーヒーグラスを見つめて 絶望的な気分になります。 「飲みおわってしまった」 もう一杯。お代わりをミズシマ君に頼みます。 先ほどと寸分たがわぬ一杯があっという間に抽出されます。 いっそ30分以上かかればいいのに、一杯のコーヒーを淹れるのに。 ミズシマ君には ダンボール箱のすきまの余った椅子に座ってもらっています。 私は食事もとらずに濃いめのコーヒーを 朝からがぶ飲みです。 2杯目まではおいしけど 3杯目、4杯目は飲みたくもないのに飲みます。 体によくないことはわかっているけれど。 コーヒーを飲むひとときは 私にとって執行猶予の時間です。 ダメ女がダメな一日を始めるまでの執行猶予。 モラトリアム。 子どもたちが起きてきます。 「ミズシマ君だ」 彼らはおもしろがってミズシマ君にちょっかいを出します。 ミズシマ君は沈黙を貫きます。 夏らしくぬくもってしまった部屋で 私は最低限するべき家事をやっとのことで始めます。 しなくてはならないことは ミズシマ君のように機械になって 思い入れなくこなせばいいのに それができません。 ミズシマ君の本名は イタリア語で〈ドルチェグストサーコロ〉。 ネスカフェのコーヒーマシンです。 セブンイレブンで購入したカフェカプセルを 所定の位置に挿入して水を入れ スイッチを押せば 何杯でも抽出してくれる。 引越のおせんべつに 水島さんという人が選んでくれました。 その頃悩んでいたのは コーヒーを抽出した後のカプセルをどう処理したらよいか ということでした。 「お住まいの地域の処理方法に合わせて下さい」 との指示がある。 燃えないゴミの日を調べて さっさとその日に出せばいいだけのことだけど 引越しサマーブルーになっちゃってるときは そんな簡単なことがとても難易度の高いことに思えて 溜まってゆくカプセルを横目で見ては涙をこぼしていました。 引越しってシジフォスの労働に似ています。 山頂まで運んだ巨岩を転げ落とす、そしてまた運ぶ・・・ または 掘った穴を掘りおわったら埋めて、また掘る・・・ 意味の無い作業の繰り返しが人に苦痛を与えるという たとえばなしです。 引越しは場所を移動するという有意義な目的がありますが 何日もかけて詰めた荷物を数日後にはまたばらす、という行為は 少しシジフォスの拷問に似ています。 さっさと箱をほどいて新居を住みやすくするのが 主婦の役目なのになんだか辛くてできない。 なんてダメなんだ私は、と思うともっとできなくなる。 そんな風に過ごす夏が 何年かに一度やってきます。 転勤族の皆さんはそんな気分になりませんかね。 一番の治療法は 秋風が吹くこと。 涼しくなって、夏休みが終わって 子どもたちがそれぞれの場所にでかけるようになると 次第に気持ちが落ち着いて 新しい場所を探索しようという元気がわいてきます。 いまではミズシマ君は食器棚の奥にしまいこまれたまま。 秋風が吹いたらまた使ってみようかな。
by mitakapurin
| 2015-08-02 12:27
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