|
ケンカするほど仲がいいという言葉に、私は長い間、嫉妬していました。 人見知りで引っ込み思案で自意識だけは巨大だった私には、 ケンカできるほど自分をさらけ出せる相手がいませんでした。 「ちょっと男子!! 掃除さぼらないでよ!!」 「うるうせえな、くそばばあ」 「なんですって! そっちこそ、くそじじい!」 (ほうきと雑巾を使用したケンカが始まる) 小学校でよく見られるこんな光景を、私は軽蔑しながら憧れていました。そんなにまで感情をむき出しにできる彼ら。彼らはいったいどこでそういうケンカスキルを身に着けたのでしょうか。私の知らぬ間に。同じ授業を受けてきたはずなのに。 私はこれまで「くそばばあ」と呼ばれたこともなければ、「くそじじい」と口にしたこともありません。そう呼んでやりたいヤツは何人かいましたが、女子っぽくその言葉を口にする自分をイメージすらできませんでした。きょうだいはいましたが、私は晩年の子だったので兄や姉と大ゲンカをしたこともありません。 同級生を「じじい」と罵りながらいつのまにかそのじじいと笑い合っている女子の隣りに佇む私を、男子はついでにばばあ呼ばわりしてくれることはなく、ふと我に返って「サトウさん」と呼ぶのです。 (どうして我に返るの?! どうして親しみを込めてばばあと呼んでくれないの?! そのスウィートなケンカ結界の中にあたしも入れてよ!!) と心中叫びながら、こちらからじじいと呼び返せるはずもなくやはり私も真顔で「なに、スズキくん」と答えるのです。私たちの間に永遠に親しみは生まれず、高い壁が立ちはだかったままです。壁というよりは薄いビニールで隔てられた感じ。 もはや私にとって「くそばばあ」は夢でした。 結婚して家族ができて、少し変わりました。 あんなにも憧れていた「ケンカ」。 その渦中に入ってみれば夢とか憧れとはかけ離れて、腹が立つことこの上ない。 なりゆきは省略しますが、私は長男に凍った食パンを投げつけたことがあります。(冷凍食パン事件として語り継がれている) ケンカをしているその時は気分が悪いし、非常に主観的になり冷静に自分を見ることなどできません。 しかし、いったん怒りが静まってみると、怒り狂っていた自分や相手の発言や行為がおかしくてたまらない。ほめ言葉よりも悪口のほうが圧倒的に個性があり、笑えるのです。そのむき出しの感情ゆえ自分達がぽろりとこぼしてしまったトンデモ発言を振り返って笑いながら、ケンカの前よりちょっと仲良くなった気がするのです。 長男「お母さん、あのとき凍った食パン投げたよね(笑)」 私「投げたね〜 食パン(笑)」 そうか。クラスの児童たちはこのような行いをしていたのか。 「たんこぶ、できれ!」 これは娘が3歳頃、弟に向けて放ったセリフです。目の前にケンカ相手がいるのに、自ら手を挙げることはせず、オリジナリティあふれる呪詛の言葉で相手をいやな気分にしています。大人なら「たんこぶ、できてしまえ」と言うところですが、子どもならではの「できれ」。短くしたことで破壊力に拍車がかかっています。 「ほんと、お兄ちゃんてうぬぼれてるよね」 これもすごいです。「うぬぼれる」は「自惚れる」と書きます。「うぬ」に「惚れる」。「うぬ」。 「え? 言ってる意味わかんないんだけど。説明力がないからテストの点が悪いんじゃないの?」 ひどいです。一つの悪口の中に2つの罵りが隠れています。①「説明力のなさ」②「テストの点の低さ」。高度です。 「どうせ私なんかお手伝いさんなんでしょ」 主婦(私)の発言です。自虐スタイルの罵り文句です。 たまたま出会った人と家庭を持って、たまたま結び合った遺伝子同士で成り立っている家族。家族を自分で作ってみるということ。めんどうくさい毎日ですが、私にとってはケンカができるというだけでたいした拾い物だったと思うのです。 子どもが高校生にもなると、「息子にばばあと呼ばれたことがある」ママさんがけっこういます。きっと彼女たちは男子とケンカできる少女だったに違いありません。相変わらずまだ「ばばあ」と呼ばれたことのない私ですが、ある日長男が言いました。 「心の中でくそばばあと思ったことは、ある」と。 あともう一歩です。 そんな私が書いた記事も載っている「たまら・び」あきる野特集号が現在大大好評発売中です。
by mitakapurin
| 2016-10-11 19:41
|
ファン申請 |
||